| 2008年6月6日(金) |
| ドラマ ROOKIES |
| 私は結構このドラマ好きです 人間として 最も大切な事・・・ 夢を持ち 夢をつらぬく事の 大切さを忘れない そうあるべきだと思っています 知らないなら 教えてやろう この世は 希望だらけだ この言葉効きました。 |
| 2007年10月27日(土) |
| 親父の小言 |
| 役に立ちます。 親父の一言 火は粗末にするな 朝きげんをよくしろ 神仏をよく拝ませ 不浄を見るな 人には腹を立てるな 身の出世を願え 人に馬鹿にされていよ 年寄りをいたわれ 恩は遠くからかくせ 万事油断するな 女房のいうこと半分 子のいうこと八九はきくな 家業は精を出せ 何事もかまわずしろ たんと儲けてつかえ 借りては使うな 人には貸してやれ 女郎を買うな 女房は早く持て 難渋な人にほどこせ 生物を殺すな 年忌法事をしろ 義理は必ず欠くな ばくちは決して打つな 大酒は呑むな 大めしを喰うな 判事はきつく断れ 世話焼になるな 貧乏を苦にするな 火事の覚悟をしておけ 風吹きに遠出するな 水はたやさぬようにしろ 塩もたやすな 戸締まりに気をつけろ 怪我と災は恥と思え 物を拾わば身につけるな 小商ものを値切るな 何事も身分相応にしろ 産前産後を大切に 小便は小便所へしろ 泣きごとは必ず云うな 病気は仰山にしろ 人の苦労を助けてやれ 不吉は云うべからず 家内は笑ふて暮らせ 親父生前中の小言を思い出して書き並べました 今にして考えればなるほどと思うことばかりです 大聖寺 暁仙 (福島県大聖寺 昭和三年) |
| 2007年10月27日(土) |
| メタボの自分に一言 |
| 健康十訓 1、少肉多菜 2、少塩多酢 3、少糖多果 4、少食多歯 5、少衣多浴 6、少言多行 7、少欲多施 8、少憂多眠 9、少車多歩 10、少怒多笑 来年はダイエット・・・ダイエット・・・それでもアイスは大好物 |
| 2007年10月27日(土) |
| アメリカインディアンの教え |
| 子供たちはこうして生き方を学びます。 1、批判ばかり受けて育った子は、非難ばかりします。 2、敵意に満ちた中で育った子は、誰とでも戦います。 3、ひやかしを受けて育った子は、はにかみ屋になります。 4、ねたみを受けて育った子は、何時も悪い事をしているような 気持ちになります。 5、心が寛大な人の中で育った子は、がまん強くなります。 6、励ましを受けて育った子は、自信をもちます。 7、ほめられる中で育った子は、いつも感謝することを知ります。 8、公明正大な中で育った子は、正義心を持ちます。 9、思いやりのある中で育った子は、信仰心を持ちます。 10、人に認めてもらえる中で育った子は、自分を大事にします。 11、仲間の愛の中で育った子は、世界に愛を見つけます。 歴史は語ります。 インディアンは大英帝国からの移民に滅ぼされました。 今のアメリカ合衆国にとられてしまいました。 理想だけでは国家を保つことが難しいのでしょう。 国を率いる長が必要なのでしょう。 |
| 2007年10月27日(土) |
| なってはならない・・・・ |
| 1、時間を守らない人。 2、避けて通る人。 3、人のせいにする人。 4、整理整頓をしない人。 5、連絡の悪い人。 6、出来ませんと言う人。 7、行動しない人。 8、考えない人。 9、基本の出来ない人。 10、粘り気のない人。 自己中心の人が増えています。人は社会で生きていきます。 ルールを守り、自己犠牲の人が多ければ、争いは起こりません。 自己中心の人ばかりで、人心がばらばらになると、国家がなくなり、結局生きていけません。 |
| 2007年10月27日(土) |
| 心戒十訓 |
| 1、人を大切にする人は人から大切にされる。 2、人間関係は相手の長所と付き合うものだ。 3、人は何をしてもらうかより何が人に出来るかが大切である。 4、仕事では頭を使い、人間関係では心を使え。 5、挨拶はされるものではなくするものである。 6、仕事は言われてするものではなく、探してするものである。 7、わかるだけが勉強ではない、出来る事が勉強だ。 8、美人より美心。 9、言葉で語るな、心で語れ。 10、良い人生は、良い準備から始まる。 心していても、忘れてしまいますね。 |
| 2007年9月28日(金) |
| 意見をください |
| 人生ってなに?生きることとは? 時々、過去(自分の歩んできた道)が見えなくなり、未来がかすんで見えなくなりませんか。 私は両親の恩に報いることができているであろうか。 今を生きていて、疑問がとけません。 |
| 2007年9月28日(金) |
| 言葉の力 |
| 一つの言葉でケンカして 一つの言葉で仲直り 一つの言葉で頭が下がり 一つの言葉で笑い合い 一つの言葉で泣かされる 一つの言葉で なごみ合い 一つの言葉で きずなを作る 一つの言葉はそれぞれに 一つの心を持っている きれいな言葉にはきれいな心 やさしい言葉にはやさしい心 一つの言葉を大切に 一つの言葉を美しく 言葉は心の鏡なり 日本語を大切に・・・日本に生まれてよかった、よかった |
| 2007年9月28日(金) |
| 心戒十訓 |
| 1、人を大切にする人は人から大切にされる。 2、人間関係は相手の長所と付き合うものだ。 3、人は何をしてもらうかより何が人に出来るかが大切である。 4、仕事では頭を使い、人間関係では心を使え。 5、挨拶はされるものではなくするものである。 6、仕事は言われてするものではなく、探してするものである。 7、わかるだけが勉強ではない、出来る事が勉強だ。 8、美人より美心。 9、言葉で語るな、心で語れ。 10、良い人生は、良い準備から始まる。 |
| 2007年9月1日(土) |
| 追加です。 |
| 勝者と敗者の違い 1.勝者には負ける余地があるが、敗者には、ない。 Winners can afford to make mistakes. Losers, cannot. 2.勝者は幸運を勝因にあげるが、敗者には運そのものがない。 Winners credit their good luck for winning. Losers simply does not have luck to credit. 3.勝者の特典はより働く事。敗者の特典はそれにケチを付ける事。 Winners win the privilege to work harder. Losers' privilege is to bitch about it. 4.勝者は問題を勝ち取り、敗者は問題を与えられる。 Winners win the problem. Losers are given the problem. 5.勝者は敗者を作り上げることで償う。 Winners show their sorry by making up losers. 6.勝者は勝者と妥協し、敗者に戦いをしかける。 Winners compromise with winners and fight against losers. 7.勝者は下を向くべきときに上を向き、敗者は上を向くべきときに下を向く。 Winners look up when they ought to look down. Losers look down when they ought to look up. 8.勝者は自らを押し上げ、敗者は互いを引っ張り合う。 Winners push themselves up. Losers pull one another. 9.勝者は過小に約束し過大に成果を上げる。敗者は過大に約束し過小に成果を上げる。 Winners underpromise and overdeliver. Losers overpromise and underdeliver. 10.勝者はいずれ敗者となる。その逆は真ならず。 Winners will be losers sooner or later. Vice versa is not true. |
| 2007年9月1日(土) |
| 勝者と敗者の違い |
| 面白いものを見つけました。参考にまります。 毎日反省の毎日です。頑張らねばなリません。 「The Big Difference between Winner and Loser」という記事がありました。面白かったです。 1.勝者は間違ったときには「私が間違っていた」と言う。 敗者は「私のせいではない」と言う。 2.勝者は勝因は「運が良かった」と言う。例え運ではなかったとしても。 敗者は敗因を「運が悪かった」と言う。でも、運が原因ではない。 3.勝者は敗者よりも勤勉に働く。しかも時間は敗者より多い。 敗者はいつでも忙しい。文句を言うのに忙しい。 4.勝者は問題を真っ直ぐ通り抜ける。 敗者は問題の周りをグルグル回る。 5.勝者は償いによって謝意を示す。 敗者は謝罪をするが同じ間違いを繰り返す。 6.勝者は戦うべきところと妥協すべきところを心得ている。 敗者は妥協すべきでないところで妥協し、戦う価値がない所で戦う。 7.勝者は「自分はまだまだです」と言う。 敗者は自分より劣るものを見下す。 8.勝者は自分より勝るものに敬意を払い学び取ろうとする。 敗者は自分より勝るものを不快に思い、アラ捜しをする。 9.勝者は職務に誇りを持っている。 敗者は「雇われているだけです」と言う。 10.勝者は「もっと良い方法があるはずだ」と言う。 敗者は「何故変える必要があるんだ?今までうまくいっていたじゃないか」と言う。 |
| 2007年4月4日(水) |
| 『常在戦場の心得』 |
| 上杉謙信公の戦場訓 『常在戦場の心得』 運は天にあり 鎧は胸にあり 手柄は足にあり 何時も敵を掌にして合戦すべし 疵つくことなし 死なんと戦へば生き 生きんと戦へば必ず死すものなり 家を出ずるより帰らじとおもえば又帰る 帰ると思えばこれまた帰らぬものなり 不定とのみ思うに違わずといえど、武士たる道は不定と思うべからず 必ず一定と思うべし 読み返すと、今に通じることがたくさんあります。 自分を戒めて、明日を生きていきます。 夢を忘れないで生きていこう。 |
| 2007年4月4日(水) |
| 上杉謙信公の教え |
| ■上杉謙信公之精神 ◆上杉家家訓 心に物なき時は、心廣く體泰なり 心に我儘なき時は、愛敬失はず 心に慾なき時は、義理を行ふ 心に私なき時は、疑ふことなし 心に驕なき時は、人を敬ふ 心に誤なき時は、人を畏れず 心に邪見なき時は、人を育つる 心に貪なき時は、人に諂ふことなし 心に怒なき時は、言葉和かなり 心に堪忍ある時は、事を調ふ 心に曇なき時は、心静なり 心に勇なき時は、悔むことなし 心賤しからざる時は、願好まず 心に孝行ある時は、忠節厚し 心に自慢なき時は、人の善を知り 心に迷なき時は、人を咎めず 理解しやすく ●上杉謙信公の訓言 一、心に何も思わないときは、体はのびやかである。 二、心に慢心があるときは、人を愛し敬う心を失う。 三、心に欲なきときは、正しい道理を行なう。 四、心に私心なきときは、疑うことがない。 五、心に怒りなきときは、言葉はやわらかである。 六、心に勇あるときは、くよくよしない。 七、心に忍耐あるときは、ものごとがうまくいく。 八、心に貪りなきときは、人に諂(へつら)わず。 九、心に迷いなきときは、人を非難しない。 十、心に誤りなきときは、人を畏れない。 十一、心に曇りなきときは、心静かである。 十二、心に驕りなきときは、人を敬う。 |
| 2007年3月4日(日) |
| 人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり |
| どれだけ城を堅固にしても、人の心が離れてしまったら世を治めることはできない。情けは人をつなぎとめ、結果として国を栄えさせるが、仇を増やせば国は滅びる 武田信玄の名言です。 |
| 2007年3月4日(日) |
| 天道是か非か |
| 紀元前11世紀ごろ、殷末期。 伯夷と叔斉の兄弟は孤竹という国の皇子だった。 父は兄の伯夷ではなく、弟の叔斉を後継ぎにしようと考えていた。その父が死ぬ。そこで叔斉は「父はああいったけれど、兄を差し置いて後を継ぐのは礼にそむく」と考え、兄に王位を譲ろうした。 兄は兄で「父の遺志にそむくことはできない」と叔斉の申し入れを聞かず、国を逃げ出してしまった。 叔斉も位につくことを承知せず兄の後を追ってしまったのである。 孤竹国の人は仕方なく伯夷と叔斉の中間の子を立てて君主とした。 その二人が年老いて、、、。 周国の西伯昌が仁愛深い人物で老人を大切にするという噂を聞いた。そこで二人は周で余生を送ることに決めたのだった。 が、周にたどり着いてみると、西伯昌はすでにこの世になく、息子の発(後の武王)の代になっていた。 その太子・発、今しも軍勢を率いて出陣しようとしていた。 殷の紂王(『酒池肉林』参)を討とうという軍勢である。殷の紂王はひどい暴君であるゆえとても王として認めるわけにはいかない、というのが太子・発の考えであった。殷という国自体も乱れており、この機に一気に攻め滅ぼして周の天下に! ということであろう。 この考えはしごく当然のように思える。 んが、伯夷・叔斉には別の主張がある。 出陣しようとする発の馬のくつわを引きとどめながらこう諌めた。 「父上(西伯昌)がなくなられてまだ葬儀もすんでいないうちに戦争をはじめるとは、果たしてその行為は“孝”と言えましょうや(=この親不孝者めー)! また暴君であっても王は王、周は殷の臣。臣下でありながら、主君を弑する、これが“仁”と言えましょうか(=人としての道にはずれとるぞー)!」 これに腹を立てた兵が、二人を殺そうとしたのだが、それを止めたのが、かの『太公望呂尚』。 「おやめなさい。この二人は義の者です」 殺されはしなかったものの、発は二人の言うことを聞かず出陣してしまった。 結局、紂王は討たれ(自決する)、このときから周の天下となるわけである。 これを伯夷と叔斉は喜ばなかった。武王(発)の行為を恥、周の天下を認めなかった。 周国に自分たちを養ってもらうこどころか、周で収穫された穀物をも食べることをも拒否し、首陽山(西山)にこもり、蕨を採って食べくらしたが、やがて餓死を迎える。 死ぬ時に残した歌に曰く 「我々は西山に登り、蕨を採っている。 武王は暴力に暴力で答えながら、自分が悪いことを知らない。 神農のような理想の世界は過去となってしまった。 我々の安住の地はどこにあるのだろうか。 ああ、死のう。我々の運命は衰えてしまった」 ・・・ はかない二人の爺様に涙して、話をここで終えてはいけない。 この話を挙げて、読者に問いかけを発するのは、司馬遷である。 彼の本来の意図は以下にある。 司馬遷曰く 「悪逆な生き方をして寿命を全うする者がいる一方で、正しい生き方をした伯夷・叔斉は餓死し、また孔子第一の弟子である顔回は若死にした。 《この言下には、正しいことを主張したはずの自分さえも宮刑を受けたではないか、という含みがある:るう注》 こうしたことを容認する「天道」は,本当に正しいものであるのか(天道、是か非か)。 天子が良い政治を行うと天はこれを褒め讃えて鳳凰や麒麟の出現という瑞祥を下し、悪い政治の時には日食や自然災害を起こして天子に警告を与えるという。天は、人の生き方を見ているはずなのだ。それなのになぜこのような納得のいかぬことが起こるのだ!?」と。 |
| 2007年3月4日(日) |
| 鶏口牛後 |
| 戦わずして地已に削られん。 臣聞く、鄙諺に曰く、「寧ろ鶏口と為るとも牛後と為る無かれ」と。 今西面して臂を交えて秦に臣事せば、なんぞ牛後に異ならんや。夫れ、大王の賢を以って疆韓の兵を挟みて、而も牛後の名あるは、臣ひそかに大王の為に之を羞ず。 --------------- ・大きなもの(勢力・集団)に付き従うよりは、たとえ小さくとも頭(その長)になれ、という意味。 蘇秦が生み出した言葉ではなく、すでにこの時代人口に膾炙していた一般的な諺だった模様。その言葉がどこに登場するかで重みも違ってくるように感じるから面白いものだ。 でもなあ〜、結局は鶏の頭も牛に踏み潰されることになるのだよねー(;^_^A ちなみに日本では同じようなことを「鯛の尾より鰯の頭」と言ったりします。大陸と島国の違いがもろに出てておもしろいでんな。 |
| 2007年3月4日(日) |
| 春 望しゅんぼう 杜 甫と ほ |
| 国破れて山河在あり 城春しろはるにして草木深そうもくふかし 時に感じては花にも涙を濺そそぎ 別れを恨うらんでは鳥にも心を驚おどろかす 烽火三月ほうかさんげつに連なり 家書万金かしょばんきんに抵あたる 白頭掻はくとうかけば更に短かく 渾すべて簪しんに勝たえざらんと欲ほっす 【杜 甫】盛唐の詩人として、詩聖と称され、李白と並び唐代随一の詩人である。 しかしながら、彼の生涯は、貧しく孤独な漂泊の旅に終わったが、放浪の中にも常に妻を共にしていた。 又,詩「登 高」に“百年多病”とあるように常に病がちでもあった。 この「春望」は安緑山の反乱により、捕らえられて長安に幽閉され、 妻子と別れ別れになった四十六才(757)の時の詩である。 【通 釈】 長安の都は戦乱のために破壊されてしまったが、自然の山や川は昔のまゝ残っている。 城には相変わらず春が訪れて来たが,草木が生い茂っているのみで もの悲しい。 こんな時世には、花を見ても、楽しい筈なのにかえって涙ぐんでしまい、 心をなごませてくれる筈の小鳥のさえずりにも(警戒心から)心を驚かすのである。 戦火は三か月ものあいだ続き、家族からの手紙は、なかなか届かず、 万金にも値するほど嬉しい。 自分のしらが頭をかくと、心労のためか髪の毛も短くなってしまい、 冠をとめるかんざしさえも挿せないほどになってしまった。 【語 釈】 春望=春のながめ。 山河在り=山や河が昔のまま残っている。在は存在の意味。 城=日本の城とは違って都城、まちのこと。中国の都市は周りを城壁で囲まれていた。 時に感じ=今の時を嘆く。 花にも涙を濺ぎ=花を見ても涙を流す(平和な時であれば 楽しい筈なのに)。 別れを恨む=家族との別れ。 烽火=敵襲を知らせるのろし、戦火 三月=三ヶ月、長い間。 家書=家族からのたより。 万金に抵る=何物にも換えがたい 貴重なもの。渾べて=すっかり。欲っす=〜しようとしている。欲っしてのとは違う。 簪に勝えざらん=簪は冠を止めるかんざし、勝えるは、止めるの意で、頭に冠をかぶり 簪で止めようとしても、簪が挿せなくなったと嘆いている意。この裏には、もはや冠をかぶって 役人に戻れる望みも無くなった...の失望の意もある。冠は役人の象徴でもある。 |
| 2006年12月23日(土) |
| 愚公山を移す(ぐこうやまをうつす) |
| 昔、河南省(かなんしょう)の北に太行山(たいこうざん)と王屋山(おうおくざん)という、それはそれは高い山がありました。そして、山西省(さんせいしょう)の北山というところには、愚公(ぐこう)という90歳にもなる老人が家族と暮らしていました。愚公の家は2つの高い山に面しているので、どこに行くにも遠回りをして行かなければなりませんでした。 ある時、愚公は家族を集めて相談しました。 「私とお前達で山の険しい所を平らにして、まっすぐな道を作ろうと思うが、どうだろうか。」 家族は相談して承知しましたが、愚公の妻だけは疑って言いました。 「あなたの力では小さな丘でさえくずせませんよ。ましてや太行山や王屋山なんてとんでもない話です。それに、くずした土や石はどうするのですか。」 みんなは言いました。 「それなら渤海(ぼっかい)のはずれか、東北の北にでも捨てよう。」 そして、いよいよ愚公は、子供や孫で運搬できる者を3人率いて、石をたたき、土を掘り、渤海のはずれまで運びました。隣の家の寡婦(やもめ−夫に先立たれた婦人)には7、8歳くらいの男の子がいて仕事を手伝いました。それでも半年で、やっと1往復出来るといった状態でした。 そんな愚公達を見て、黄河(こうが)のほとりに住む賢い老人が笑って言いました。 「あなたは、あまりに考え無しだよ。残りの人生もあとわずかのお前さんでは、山の草1本だって抜けやしないよ。まして、石や土をどうするつもりなんだ。」 愚公は、ため息をつくと言いました。 「お前さんのように、心がこり固まっていては何も出来ない。あの寡婦のところの子供にも及ばない。私が死んだとしても子供は残る。子供は孫を産み、その孫はまた子供を産む。その子はまた子供を産む。子々孫々(ししそんそん)続いて、終わる事はない。しかし、山のほうは、今より大きくなる事はないのだ。平らにならないということがあるものか。いつか必ず平らになるだろう。」 この言葉に知恵者の老人も返す言葉がありませんでした。 さて、この話を山の神様が聞いていました。そして、愚公が山をくずすのをやめないのだろうと心配して、天帝(てんてい−天の神様)に告げました。天帝は愚公の誠意に感銘(かんめい)して、配下(はいか)の神様の2人の息子に命令して、2つの山を背負わせ、1つは遥(はる)か北の方に、もう1つは南の方に運ばせました。それから後、その地方には小高い丘さえもなくなってしまったということです。 この話は、「列子(れっし)」の中にある寓話(ぐうわ)です。何事も怠けずに努力すれば、必ず成就(じょうじゅ)出来るというたとえです。 初志貫徹ですか |
| 2006年12月23日(土) |
| 「楊震の四知」 |
| 天知る、地知る、子知る、我知る(てんしる、ちしる、ししる、われしる) 後漢(ごかん)の中期を過ぎると、宦官(かんがん)が権力を持つようになり、多くの官僚が悪い事をするようになりました。しかし、中には楊震(ようしん)のような高潔な官僚もいました。 ある時、楊震がある地方の太守に任命され、赴任の途中で宿泊した時、夜遅くに県令の王密(おうみつ)がひそかに尋ねてきました。王密は、楊震が以前、刺史(しし−監察官)だった時に、その学識の高さを認めて官吏(かんり)に登用してあげた男です。 久しぶりに会ったので、二人とも話しがはずみましたが、やがて王密は懐から金10両を取りだし、楊震の前に差し出すと言いました。 「別に賄賂(わいろ)などではございません。ただの昔のご恩返しでございます。」 すると楊震は言いました。 「恩返しなら世間に対して行えばよい。」 王密は言いました。 「そのように堅苦しくお考えくださいますな。それに、今は夜中ですから誰も知るものはおりません。」 すると、楊震の目は鋭く光り、言いました。 「天が知っている。地も知っている。お前も知っている。私も知っている。どうして知るものがいないと言えるのか。(天知る、地知る、子知る、我知る、寧(な)んぞ知るもの無しといわんや)」 王密はこの楊震の言葉に恥じて引き下がりました。 この言葉は、「楊震の四知」として有名です。 また、「十八史略(じゅうはっしりゃく)」では、上記のとおり、「天知る、地知る、子知る、我知る」ですが、「後漢書(ごかんしょ)」では、「天知る、神知る、子知る、我知る」となっています。 |
| 2006年10月29日(日) |
| 什の掟 一、年長者の言うことにそむいてはなりませぬ 一、年長者にはおじぎをせねばなりませぬ 一、うそをついてはなりませぬ 一、ひきょうなふるまいをしてはなりませぬ 一、弱いものをいじめてはなりませぬ 一、戸外でものを食べてはなりませぬ ならぬことはならぬものです 以上が什の掟で、会津藩が藩校「日新館」入学前の子供たちに唱えさせたおきてで「弱い者をいじめてはなりませぬ」など7項目と「ならぬことはならぬものです」の結びの1文で構成されています。 会津藩の男の子供たちは、十歳になると日新館という藩の学校に入学するきまりになっていました。 六歳から九歳までの幼い子供たちは、入学前からしっかりとした生徒になろうとして自分たちの町に子供たちだけの集まりをつくりました。その集まりを「お話の什(おはなしのじゅう)」とか「遊びの什(あそびのじゅう)」と呼んでいました。 まず、会津の武士の子供はこのようにしなければならぬという心構えを教わりました。お互いに約束を決め、子供たちの家を順番で会場にし毎日熱心に反省会を行いました。 そしてその約束には絶対にそむかないよう努力したのです。その約束が「什の掟(じゅうのおきて)」です。 教育問題はいつの時代も大人が模範を示さなくてはなりません。 |
| 2006年9月9日(土) |
| 何が起こるかわからない・・・ |
| やっとこさ、ホームページが復旧しました。かなり時間をかけて作ったホームページでいたので、心底ドッキリしました。事の起こりは、HPのサーバー管理会社が、ある日突然、跡形もなく、消え去っていました。ネット社会は怖いなあ・・・と思いました。ホームページの内容も債権として、レンタルしていたサーバーごとどこかに持っていかれて、自分とは、関係のない会社のものになっていました。 ちょっと待てよ・・・HPを作ったのは、大塚歯科のスタッフであり、何で、勝手に他の人の債権になるのか???不思議で仕方がありませんでした。データを返してもらうのに、かなりの費用を請求されました。他の人の借金のかたに自分のデータがとられるのにすごい抵抗がありました。 自分自身が、アナログ的な人間ですので、義理人情を重視してきました。他の人に迷惑をかけたらあきません。 気持ちを持ち直して、これから、まめに更新していきます。 |
| 2006年3月19日(日) |
| ヤッター!!! |
| 福留選手のホームランには、感動しました。 やっぱり、仕事ができるとすばらしい。 |
| 2004年12月6日(月) |
| ぼくの好きな言葉です |
| 青は藍より出でて藍より青し 染め物の一種に、藍染めというのがあります。染料の藍玉は青味は帯びているものの、どちらかと言うと黒い色です。この藍玉を溶かした藍瓶に、反物を入れて引き上げると、最初は緑がかった色が見る見る青くなる。この素朴な驚きは今も昔も変わらない。 見たことありますよね。藍染です。この言葉の由来は 中国の儒家 筍況(B.C.300〜240頃) の言葉です。 原文 学は、もって已むべからず。 青は藍より出でて藍より青く、 氷は 水これを為して、水よりも寒し。(「荀子」勧学篇) 学問はいつまでも止まると云う事はないし、 弛んではならない。 青がもとの藍よりも青いように、 氷がもとの水よりも冷徹なように、 師を凌ぐ学の深さを持った弟子も現れるものだ・ ・ ・ ここから弟子が師よりも優ることを、この言葉で表すようになりました。 「出藍」とか、「出藍の誉れ」というのもここから来ています。 南北朝時代の北朝に李謐という人物が居た、李謐は初め孔潘に就いて学んでいたが、その進歩はめざましかった。数年の後、孔潘は李謐の方が自分より学問が進んだと考え、自ら進んで李謐の弟子になった。この時、同門のものは筍況のこの言葉を引用して、李謐の優秀さと孔潘の実直さを褒め称えている。 近年の師と仰がれる人々で、筍況のこの言葉を真に理解している人は 少ない。弟子はいつまで経っても弟子であり、一人前或いは自分と同等 と認めても、その弟子の「弟子」になることが出来ない。 将に「学は、もって已むべからず」である。この「青は藍より出て藍 より青し」に触れたら、この事も思い出して欲しい。 「過ちては、則ち改めるに憚ること勿れ」 |
| 2004年12月6日(月) |
| 怨みに報ゆるに徳をもってす |
| 老子第六十三章の言葉。 私はキリスト教のことはわかりませんが、聖書にあるように、キリストの「右の頬をうたれれば左の頬を出せ」という教訓も、この言葉のように怨みに対して処すべき人間の態度を説いたものと思うが、老子の方が相手に徳をほどこすといった点でより積極的であります。またキリストの場合は隣人愛への悲壮な献身を感じますが、老子の場合は何かおおらかであります。中国の大きさが反映されているのかもしれません。キリストはぶたれてもけられても十字架にかけられても、相手を憎むことなく相手のなすがままにまかせて死んでゆこうという悲壮な状態を想像させるのでありますが、老子は、家に侵入した賊をふんづかまえ、酒をふるまっている御大尽を想像させます。こうすると世の中から争いはなくなることでしょう。 原文では、 為無為、事無事、味無味。大小多少、報怨以徳。図難於其易、為大於其細。天下難事、必作於易、天下大事、必作於細。是以聖人、終不爲大、故能成其大。夫軽諾必寡信、多易必多難。是以聖人猶難之、故終無難矣。 訳 無為を行い、無事を働き、無味を味わう。小を大と考え少を多と捉え、怨みには徳で報いる。難事に於いては易しいうちによく図り、大事に於いては小さいうちに行う。天下の難事も、必ず易しいところから始まり、天下の大事も、必ず小さいところから始まる。聖人は大きな事を行わずにいてこそ、大きな事を成し遂げられるのである。 そもそも、軽く許諾するのでは信に乏しくなり、多く行えば難事が増えるのだ。聖人であっても難しいとするからこそ、難しいことは無くなるのである。 「小を大とし、少きを多しとす」とは、老子一流の逆説的な表現であるが、「他を多しとし自己を少なしとして、他を窺い、他から奪おうとする心をすてよ」という意味であると思います。老子流に言うならば、大とか小とかいう判断は相対的立場に立つものにはありえないことであります。 人間の判断は相対的なものであって、物には小も大もない、というのが老子の考えであります。だから他を多しとする考えは愚かな考えということになります。 この章をひらたく言えば、「進んで何事かをなそうとせず、他とあらそわず、他から奪わず、無限の味を知り、自己にあらそいかけ、自己から奪わんとする者には、恩愛をほどこせ」という処世上の教訓にいきつきます。 老子の言葉、特に処世に関する言葉は、多くは当時の為政者に対して言っているのであったのでしょう。この言葉もそうであろうと思います。そしてこの事を実行しえた人間は最高の為政者であり、聖人である。聖人とは理想的な大君主でありましょう。だから恩愛をほどこす相手は人民か、または征服した他の国の王へあったのです。 夫婦間の揉め事や、会社でのもめごと、悩みにはこの考えを少し持っていけばたやすく解決できるのではないでしょうか。 老子は難しいので、、、 老子の教え(道教)(代表的なもの) ・「(自然は)万物を生み出しながら、支配することなく、 万物を育成させながら、所有することなく、 万物を成長させながら、能力を誇示することなく、 功成っても、居座ることがない。」 (道徳経2章) ・「徳ある人はまるで水のようである。(上善は水のごとし) 水には3つの特性がある。 第1に、水は万物を育て養う。 第2に、水の性質は柔らかく弱い。自然に従い、争うことをしない。 第3に、水は人々が嫌がる低い所を流れる。 水は低いところを流れ、徳ある人は人の下に甘んずる。 水は底深く清らかであり、徳のある人は心静かに何も語らない。 水は万物に施し、徳のある人もまた施して報酬を望まない。 水は万物をありのままに映し出し、徳のある人の言葉は偽りがない。 水は柔らかく弱くどこにでも流れていく。 人々も水のように争わず、下に立つことができて、はじめて道に近づくのである。」 (道徳経8章) ・「怨みのある者には徳行を持って報いなさい。」 (道徳経63章) ・「大きな怨みは、どんなに仲裁しても怨みが心の底に残るものである。 これでは妥当な解決とはいえない。 だから聖人は人に与えてもその見返りを求めない。 徳のある人は借用書を持っていながら取り立てない人のようだ。 反対に、徳のない人は税吏のように取り立てて、人には何も与えない。」 (道徳経79章) ・「私には3つの宝があり、大切に守り続けている。 第1に慈愛、第2に控えめな態度、第3に天下の人々の先に立たぬこと。 慈愛の心があるから生あるものすべてを守ることができ、したがって勇気が生まれる。 控えめだから人格を向上することで影響力を広められる。 人の先に立とうとしないから、みなから敬愛され、指導者に仰がれる。 勇敢なだけで、慈愛心がなく、 影響力だけを求めて、控えめでなく、 先に立とうとばかりして、退くことを知らなければ、 結果は破滅あるのみだ。 3つの宝のうち、最も大事なのは慈愛である。」 (道徳経67章) |
| 2004年12月6日(月) |
| 夏目漱石の「こころ」を読んで |
| この小説には人間のエゴイズムがよく描かれていると思う。宗教観、倫理観、恋愛観、結婚観について、現在と、明治時代では異なっているにもかかわらず、人間の本性のエゴの部分では、時代を超えて、共通するものが感じられた。それは人間誰にでもある部分、すなわち、誰だって自分を一番大切にする自己中心的な考えである。Kと「先生」は自殺に至る過程において、多少の差異はあったが、「同じ道」を辿っている。自已のエゴイズムによって他者が傷ついて初めて、自己の犯した罪とその深さを自覚する。しかし、その時には既に他者との接点は自らの手で閉ざしてしまった後で、立ち直るにはよほど献身的な愛か無償の愛が必要と思われる。Kの場合は、常に自分のことしか考えないで、自分のために真剣に思ってくれていた「先生」の気持ちも気付かないで、自分の思いを出して友人を傷つけ、その親友の思わぬ裏切りに対して、立ち直れないで自殺をして自分のエゴを出してしまった。また、「先生」は自分のエゴから友人Kを裏切り死に追いやってしまった。先生にとってKに死を選択されるのは何よりも辛いことであったろう。先生は懺悔の道、乃木大将が戦争のあと死ぬ機会を探しながら35年を生きること選んだと同様に、Kも愛していた妻を大切にすることで罪を償おうとした。生きて償うことは,Kのように死んで償うことよりはるかに苛酷だろう。未来への希望,夢,欲望さえも捨てる覚悟だったのだろう。Kの場合は特例としても、人からの裏切りは一時の怒りで収まるものだが,人への裏切りは後々まで重く暗い影を落とすのだということに気が付いた。人間っていう生き物は、やはり『こころ』のどこかに自分勝手な部分があり、弱い生き物である。エゴを表に出すと、他人に嫌われるから、普段はみんなそれを心の中に隠している。自己の精神を修養して、コントロールすることが、生きていく上での知恵であると思う。 |
| 2004年12月6日(月) |
| この意見はいかがですか。賛否両論ありますが。 |
| 世の父親にお願い ●先祖を語り、敬うことを教えよ。 ●時間と約束は守るためにある。(診療予約がしっかり守れません。ごめんなさい) ●読書は教養の宝庫である。 ●正義は力なり、ということを教えよ。そして、力無き正義は無力である。(時代劇や映画の世界) ●子供の前では絶対夫婦喧嘩をするな。(世のお母様方、お父さんを大切に・・・) ●親は職業に誇りを持て。 ●子供に好かれようと思うな。寂しくても我慢せよ。決しておべっかをつかうな。 ●子供にやってよいことと、悪いことを徹底的に教えよ。 ●弱い者いじめは人間の屑であると教えよ。 ●金は天から降ってこないことを教えよ。 ●強い身体を創ることを教えよ。気力は体力あってこそである。 |
| 2004年3月5日(金) |
| 修身要領 |
| これも福沢諭吉先生の高弟の皆さんがまとめられたものです。 修身要領 凡そ日本国に生々する臣民は、男女老少を問わず、万世一系の帝室を奉戴して其恩徳を仰がざるものある可らず。此一事は満天下何人も疑を容れざる所なり。而して今日の男女が今日の社会に処する道を如何す可きやとふに、古来道教の教一にして足らずといえども、徳教は人文の進歩と共に変化するの約束にして、日新文明の社会には自から其社会に適するの教なきを得ず。即ち修身処世の法を新にする必要ある所以なり。 1、人は人たるの品位を進め智徳を研きますます其光輝を発揚するを以て本文と為さざる可らず。吾党の男女は独立自尊の主義を以て修身処世の要領と為し、之を服膺して人たるの本分を全うす可きものなり。 2、心身の独立を全うし自ら其身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と言ふ。 3、自ら労して自ら食ふは人生独立の本源なり。独立自尊の人は自労自活の人たらざる可らず。 4、身体を大切にし健康を保つは人間生々の道に欠く可らざるの要務なり。常に心身を快活にしてかりそめにも健康を害するの不養生を戒む可し。 5、天寿を全うするは人の本分を尽くすものなり。原因事情の如何を問はず、自ら生命を害するは、独立自存の旨に反する背理卑怯の行為にして、最も賎しむ可き所なり。 6、敢為活発堅忍不屈の精神を以てするに非ざれば、独立自尊の主義を実にするを得ず。人は進取確守の勇気を欠く可らず。 7、独立自尊の人は一身の進退方向を他に依頼せずして自から思慮判断するの智力を具へざる可らず。 8、男尊女卑は野蛮の陋習なり。文明の男女は同等同位、互に相敬愛して各その独立自尊を全からしむ可し。 9、結婚は人生の重大事なれば配偶の選択は最も慎重ならざる可らず。一夫一婦終身同室相敬愛して互に独立自尊を犯さざるは人倫の始なり。 10、一夫一婦の間に生るる子女は、其父母の他に父母なく其子女の他に子女なし。親子の愛は真純の親愛にして之を傷けざるは一家幸福の基なり。 11、子女も亦独立自尊の人なれども、其幼時に在ては父母これが教養の責に任ぜざる可らず。子女たるものは父母の訓誨に従て孜々勉励、成長の後独立自尊の男女として世に立つの素養を成す可きものなり。 12、独立自尊の人たるを期するには、男女共に成人の後にも自ら学問を勉め知識を開発し徳性を修養するの心掛を怠る可らず。 13、一家より数家次第に相集りて社会の組織を成す。健全なる社会の基は一人一家の独立自尊に在りと知る可し。 14、社会共存の道は人々自権利を護り幸福を求めると同時に、他人の権利幸福を尊重して苟も之を犯すことなく、以て自他の独立自尊を傷けざるに在り。 15、怨を構へ仇を報ずるは野蛮の陋習にして卑劣の行為なり。恥辱を雪ぎ名誉を全うするには須らく公明の手段を択む可し。 16、人は自から従事する所の業務に忠実ならざる可らず。其大小軽重に論なく苟も責任を怠るものは独立自尊の人に非ざるなり。 17、人に交わるには信を以てなす可し。己を人を信じて人も亦己を信ず。人々相信じて始めて自他の独立自尊を実にするを得るべし。 18、礼儀作法は敬愛の意を表する人間交際上の要具なれば苟めにも之を忽にす可らず。只その過不及なきを要するのみ。 19、己れを愛するの情を拡めて他人に及ぼし、其疾苦を軽減し其福利を増進するに勉むるは博愛の行為にして人間の美徳なり。 20、博愛の情は同類の人間に対するに止まる可らず。禽獣を虐待し又は無益の殺生を為すが如き人の戒む可き所なり。 21、文芸の嗜は人の品性を高くし精神を娯ましめ、之を大にすれば社会の中和を助け人生の幸福を増すものなれば、亦是れ人間要務の一なりと知る可し。 22、国あれば必ず政府あり。政府は政令を行い軍備を設け一国の男女を保護して其身体生命財産名誉自由を侵害せしめざるを任務と為す。是を以て国民は軍事に服し国費を負担するの義務あり。 23、軍事に服し国費を負担すれば、国の立法に参与し国費の用途を監督するは、国民の権利にして又其義務なり。 24、日本国民は男女を問わず国の独立自尊を維持するが為には生命財産を賭して敵国と戦ふの義務あるを忘る可らず。 25、国法を遵奉するは国民たるものの義務なり。単にこれを遵奉するに止まらず進んで其執行を幇助し、社会の秩序安寧を維持するの義務あるものとす。 26、地球上立国の数少なからずして各その宗教言語習俗を殊にすのいえども、其国人は等しく是れ同類の人間なれば、之と交わるには苟も軽重厚薄の別ある可らず。独り自ら尊大にして他国人を蔑視するは独立自尊の旨に反するものなり。 27、吾々今代の人民は先代前人より継承したる社会の文明福利を増進して、之を子孫後世に伝ふるの義務を尽さざる可らず。 28、人の世に生るる智愚強弱の差なきを得ず。智強の数を増し愚弱の数を減ずるは教育の力に在り。教育は即ち人に独立自尊の道を教へて之を躬行実践するの工夫を啓くものなり。 29、吾党の男女は自此要領を服膺するのみならず、広く之を社会一般に及ぼし、天下満衆と共に相率いて最大幸福の域に進むを期するものなり。 |
| 2004年3月5日(金) |
| 心訓 |
| 福沢諭吉先生の心訓です。 自分を省みるために、再掲します。 1. 世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事を持つことです 2. 世の中で一番惨めなことは人間として教養がないことです 3. 世の中で一番さびしいことはする仕事がないことです 4. 世の中で一番醜いことは他人の生活を羨むことです 5. 世の中で一番尊いことは人の為に奉仕して決して恩にきせないことです 6. 世の中で一番美しいことは全てのものに愛情を持つことです 7. 世の中で一番悲しいことは嘘をつくことです |
| 2003年11月13日(木) |
| 人は死ぬことを忘れている |
「人間は死すべきものである」 「私は人間である」 「それ故、私も死ななければならない」 この三段論法は昔から言いふるされてきた。 しかも、現代においても、それを動かすことのできない真理である。 ところが、人間が死ぬことを忘れて、生に自信を持ち過ぎているということと、死ななければならないという事実とは、別々の二本の線である。このニ本の線は人間の気持の上では、どうしても交わることのできない二本の線である。 しかし、現実としては、この二本の線は必ず交わる。 即ち人はどうしても死ななければならぬのである。平均寿命が七十歳を過ぎたとか、八十歳を過ぎたとか、そういう平均数値の上で自分の命を考えるから、死はまだ遠い先のことのように思ってしまう。そして今のいのちを粗末にあつかってしまう。 死とは長い生活の後にやってくるのではない。死とは生の終点なのではない。 実はいつも一緒にいるのである。 生の裏が死なのであって、終りが死なのではない。 このように思うとき、今日のいのちの有り難さがわかってくる。 背中に死を背負いながら今日も生きている。そこに生かされて生きる喜びと感謝を実感するものとなる。 仏教は「死」をことさら取り上げるので陰気臭いというが、そうではない。死のほうから生の意味をうかがう方が、生を正面からうかがうよりもはっきりするからである。 光りは、闇と対置されることによって、光りであることを知るのである。 |
| 2003年8月31日(日) |
| ショーシャンクの空に |
| ショーシャンクの空に の映画を見ました。 主人公の不運は深いものでした。 不運では済まされない、問題でした。 人の運不運はあるでしょう。 深く恐ろしい不運は会いたくない。 |
| 2003年8月31日(日) |
| 生き方と運についておしえてください。 |
| 生き方と運について教えてください。 わからなくなってきました。このホームページまでメールください。 精一杯生きて、働いて、働いて、幸せですか? わからない。自分の時間は? 心の余裕は? 楽しみとは、生きることとは、何?何? 幸福とは? また、わからなくなってしまいました。 何か楽しみをみつけなくては。 だれか教えてください。 今夜は眠れない。 |
| 2003年8月31日(日) |
| 女性上位について |
| 「どうして男は勝てないか」 ・ 仕事を一生懸命やると、 彼女のための時間はないのかといわれる ・ 仕事をほどほどにすませると、 甲斐性なしといわれる ・ 彼女より先に昇進すると、 男女差別といわれる ・ 彼女が先に昇進すると、 機会均等といわれる ・ 彼女の服をほめると、 セクハラといわれる ・ 彼女の服について何も言わないと、 気がきかないといわれる ・ 彼女の前で泣けば、 情けない男といわれる ・ 彼女の前で泣かなければ、 感情のない男といわれる ・ 彼女に相談せずに決めると、 自己中心的といわれる ・ 彼女が相談せずに決めると、 自立した女といわれる ・ 彼女に花を買っていけば、 下心が見え見えといわれる ・ 彼女に花を買っていかなければ、 配慮が足りないといわれる ・ 女性のフリルの下着に喜べば、 変質者といわれる ・ 女性のフリルの下着に喜ばなければ、 ゲイといわれる ・ 自分の身体をきたえれば、 ナルシストといわれる ・ 自分の身体をきたえなければ、 だらしないといわれる ・ 彼女に体型を保ってほしいと言えば、 性差別に基づく偏見といわれる ・ 彼女の体型について何も言わなければ、 私に関心はないのかといわれる ・ 彼女に夜の関係を求めれば、 肉体だけが目当てなのかといわれる ・ 彼女に夜の関係を求めなければ、 他に女がいるといわれる ))))))出典:Lady Hawke's Joke du Jour < http://www.jokedujour.com/ > |
| 2003年8月31日(日) |
| 教育勅語の口語訳を見つけました。 |
| 次の 文章を 読まれて 皆さんは どのように感じ取られますか。 『 私は 私たちの祖先が 遠大な理想のもとに 道義国家の実現を目指して 日本の国をはじめられたものと信じています。 そして、日本国民が 国を愛する心と 親に孝行する気持の両方の道 を完うし、みんなが心を合わせて努力した結果、 今日のような 立派な国家に創りあげることができたのであり、 もとよりこれはすぐれた日本の国柄に依る物ではありますが、 教育の根本もまた、 この道義立国の達成に依るものと 私は かたく信じています。 国民の皆さんは、 子供は 親に孝養を尽くし、 兄弟、姉妹は 互いに力を合わせて 助け合い、 夫婦は 仲睦まじく 解け合い、 友人は 胸襟を開いて 信じあい、 そして自分の言動 を つつしみ、 すべての人々に 愛の手をさしのべ、 学問を 怠らず、 職業に 専念し、 知識を 養い、 人格を みがき、 さらに進んで 社会公共のために 貢献し、 また 法律や 秩序を 守ることは勿論のこと、 非常事態発生の場合には 真心をささげて 国の平和 と安全に 奉仕しなければなりません。 これらの伝統的美風を守ることは、善良な日本国民として 当然の務めであるばかりでなく、 今日まで私達の祖先が身をもって 示し残されたこれらのことを 更にいっそう明りょうにすることが 重要であります。 このような 国民の歩むべき道しるべは 祖先の残された教訓として 私達子孫が守らなければならな い基本であると共に、 この教えは 今も昔も変わらない正しい道であり、 また 日本ばかりでなく 外国に行っても 間違いのない正しい道ですから 私もまた 国民の皆さんとともに、 祖先が残されたこれらの教えを しっかり胸に抱いて、 立派な日本人となるように 心から願うものであります。 』 これは明治天皇が制定された 「教育勅語」 の 口語文訳です。 現在 の荒廃した社会を正して、明るい日本を再構築するためにも、 個人、家庭はもとより、社会、国をあげて教育の原点に 立ち返ることが 必要不可欠であり、そのためには 今こそ 「教育勅語」 の 崇高な これらの理念をもう一度 素直な気持で見直してみる必要があるのではないでしょうか。 誰か日本を立ち直らせてください。 私も立ち直りたい。 原文です。 教育勅語 朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト 宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣 民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ 世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ 精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス 爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和 シ朋友相信シ恭儉己ヲ持シ博愛衆ニ・ 及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓 発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務 ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦 緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮 ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕 ガ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾 祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン 斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシ テ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古 今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖 ラス朕爾臣民ト倶ニ拳拳服膺シテ咸其 徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ 明治二十三年十月三十日 御名 御璽 |
| 2003年8月31日(日) |
| おもしろい |
| 「つもりちがい10ヶ条」 ○ 高いつもりで 低いのが教養 ○ 低いつもりで 高いのが気位 ○ 深いつもりで 浅いのが知識 ○ 浅いつもりで 深いのが欲望 ○ 厚いつもりで 薄いのが人情 ○ 薄いつもりで 厚いのが面皮 ○ 強いつもりで 弱いのが根性 ○ 弱いつもりで 強いのが自我 ○ 多いつもりで 少いのが分別 ○ 少いつもりで 多いのが無駄 ああ、すべて自分に当てはまる。 そのように思うのは私だけですか。 |
| 2003年8月31日(日) |
| 五常 |
| ★ 『 五 常 』 伊勢貞丈(さだたけ・江戸中期の学者)の家訓 五常 とは、仁義礼智信の五つなり。 この五つは天然自然人に生まれつきたる根性なり。 この五つの根性を常に用いざれば、かなわざる事なる故、五常というなり。 一、 仁というは、人を初めとして、生ある物をあわれみめぐみ、思いやりふかく、いたわる根性を仁というなり。 仁は慈悲の事と心得べし。 父母に孝行するを始めとして、万事この仁をはなれてはならぬ事なり。 一、 義というは、義理あいの事なり。 めいわくにおもうとも、すべき筋の事をば、かならずする、すまじき筋の事をば、決してせぬを義というなり。 一、 礼というは、我より目上なる人をばあがめうやまい、目下なる人をもいやしめずあなどらず、 我が身をへりくだりて人にほこらず、おごる事なきを礼というなり。 一、 智というは、道理と無理、善と悪、是と非を分別するを初めとして、耳にきかず目に見ぬ事迄も、かんがえ知りわきまうるを智というなり。 一、 信というは、真実にしていつわりなく、わだかまりなく、かげひなたなく、一すじにまことなるをいう。 信は正直の事と心得べし。仁も義も礼も智も信というものがなければ、皆いつわり事となるなり。 右の五つの根性を、とりうしなわぬ様に心がくべし。 我がままなる心をもつ時は、右の根性きえうせて、悪事をし出すなり。 難しいことです。本当に。生きることは。 |
| 2003年8月31日(日) |
| 三学戒 |
| やはり、毎日精進して勉学に励み、患者さんのために生きればいいのです。 佐藤一斎(1772年〜1859年)の言志四録(げんししろく)の一説 「 少(わか)くして学べば 壮にして為すあり。」 若くして学べば、大人になって世のため、人のために役に立つ人間になる。 「 壮にして学べば 老いて衰えず。」 壮年になって学べば、年をとっても衰えない。いつまでも活きいきしていられる。 「 老にして学べば 死して朽ちず。」 年をとっても学び続けている人は、死んでもくさらない。 精進します。時間は自分で作るもの。 |
| 2003年8月31日(日) |
| 「六 中 観」 (安岡正篤「百朝集」より) |
| 「六 中 観」 (安岡正篤「百朝集」より) を読みました。 今年は人生でもっとも、大きな転換点でした。 運不運とかでは、片付けられない出来事がありました。 自分の人生を振り返りました。 来年の今頃は何をしていることしているだろうか。 人間には完全な人間はいないと思う。 何のために生きているのだろうか。何のため、 忙中閑あり 忙しいからこそ 閑が存在する。 何もすることがなくての閑は 無内容な閑である。繁忙の中から得た時間こそが 本当の生きた時間ということである。 苦中楽あり これについては 「プラス思考」 と言い換えたほうが理解しやすい。 苦楽をつくり出しているのは「心」 に外ならない。苦中の楽こそが本当の楽で、楽ばかりでは 退廃させるだけである 死中活あり 一身を犠牲にする覚悟があって、初めて窮境を脱し、活路を見出すことができる。即ち、死ぬ気になって道を開こうと努力すれば、開けない道はないということである。 壺中天あり 人間はどんな境遇にあろうとも、自分だけの壷中の天を創りえる。私たちのまわりにも 「 えっ、このひとにこんな趣味があったの」 とか、 「 こんな奥床しい芸を持っていたのか 」とか、驚かされることがある。 こうした自分の別天地を持っている人というのは、いかなる逆境にあろうとも、救われる人である 意中人あり 出世して役職について、さて周囲を固めようと思ったが、自分の手足として動いてくれる人がいなかったということでは、とうてい事はなしえないものである。 日頃から意中の人を射止めておくことが大事である。 腹中書あり すぐれた頭脳の持ち主というのは、先人が残した文献を繙き、読みながら、実は先人が発している周波数をつかむことに長けた人で、このような人は 現実問題に対して、瞬時に先人の知恵に周波数を合わせ、解決策を見い出すことが なんなく出来るはずである 私も立ち直らなければ、、、。 |
| 2003年8月31日(日) |
| 水戸光圀公遺言に学ぶ |
苦は楽のたね、楽は苦のたねと知るべし。 主人と親とは無理なるものと思い、恩を忘るることなかれ。 下人はたらわぬものと知るべし。 子程に親を思い、子なきものは身にくらべて近きを手本とすべし。 掟に怖じよ、分別なきものに怖じよ。 朝寝すべからず、長座すべからず。 小事もあなどらず、大事も驚くべからず。 慾と色と酒はかたきと知るべし。 正直は一生の宝、堪忍は一生の相続、慈悲は一生の祈祷と知る辺し。 おのおの方、、、頭が高い! この人をだれと心得る。 この印籠が目に入らぬか。 |
| 2003年8月31日(日) |
| 日常の五心 |
| 1、「 すみません 」 という反省の心 2、「 はい 」 という素直な心 3、「 おかげさまで 」 という謙譲の心 4、「 私がします 」 という奉仕の心 5、「 有難う 」 という感謝の心 |
| 2003年6月8日(日) |
| 英語で考え訳すと、、、 |
| 「五省」 Five reflection 至誠に悖るなかりしか Hast thou not gone against sincerity. 言行に恥づるなかりしか Hast thou not felt ashamed of thy words and deeds. 気力に缺くるなかりしか Hast thou not lacked vigor. 努力に憾みなかりしか Hast thou not exerted all possible effort. 不精に亘るなかりしか Hast thou not become slothful. |
| 2003年6月8日(日) |
| 五省を思う |
| 一、至誠に悖るなかりしか (真心に反する点は、なかったか) 「それをしなければ」と思っているのに、何となく、後込みしてしまったところはないか。 一、言行に恥づるなかりしか (言行不一致な点は、なかったか) 「あの人は口だけだ」とか「口ほどに手が動かない」とかいわれるようなところはなかったか。 一、氣力に缺くるなかりしか (精神力は十分であったか) 「仕事なんて二の次だ」などという気持ちは持たなかったか。 一、努力に憾みなかりしか (十分に努力したか) 初めから、「できない」と決めつけて、十分な努力もしないで、あきらめていなかったか。 一、不精に亘るなかりしか (最後まで十分に取り組んだか) 「もうこれくらいで良い」と自己満足をしたり、手抜きはしなかったか。 |
| 2003年6月8日(日) |
| 人生をいかに生きるか? |
| 徳川家康公遺訓 人の一生は重荷を負って遠き 道を行くが如し急ぐべからず 不自由を常と思えば不足なし 心に望み起こらば困窮したる ときを思い出だすべし 堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思え 勝つことばかり知りて負くる ことを知らざれば害その身に至る 己を責めて人を責むるな 及ばざるは過ぎたるに勝れリ ふと、自分を忘れて、殺伐とした世の中を生きています。 自分は世の中で、生きて、生かされていることをわすれてはいけない。 おごりは身を滅ぼします。 私は、謙虚に、誠実に、恥じることなく、生き生きと生きたい。 父から諭されました。父は戦争中に海軍兵学校で学んだそうです。 私も根性と機会があれば、たるんだ精神を鍛えなおしたいものです。 五 省 ● 至誠に悖るなかりしか (真心に反する点は、なかったか) ● 言行に恥ずるなかりしか(言行不一致な点は、なかったか) ● 気力に欠くるなかりしか(精神力は十分であったか) ● 努力に憾みなかりしか (十分に努力をしたか) ● 不精に亘るなかりしか (最後まで十分に取り組んだか) 五省は昭和7年、当時の海軍兵学校長 松下元少将が創始したも のです。松下校長は兵学校生徒の訓育を重視され、日々の各自の行 為を反省させて明日の修養に備えさせるため、五か条の反省事項を 考え出し、これを日々生徒に実施させました。その方法は、毎晩自 習終了時刻の5分前に、当番生徒が「五省」の五項目を問いかけま す。各生徒は姿勢を正し、瞑想しながら心の中でその問いに答えな がら、今日一日を自省自戒するというものでした。 合掌 |
| 2003年4月25日(金) |
| 孫子の兵法から学ぶ |
| 一 孫子曰わく、 兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。 故にこれを経[はか]るに五事を以てし、これを校[くら]ぶるに計を以てして、其の状を索[もと]む。 一に曰わく道、二に曰わく天、三に曰わく地、四に曰わく将、五に曰わく法なり。 道とは、民をして上と意を同うし、これと死すべくこれと生くべくして、危[うたが]わざらしむるなり。 天とは、陰陽・寒暑・時制なり〔、順逆・兵勝なり〕。 地とは、〔高下・広狭・〕遠近・険易・死生なり。 将とは、智・信・仁・勇・厳なり。法とは、曲制・官道・主用なり。 凡そ此の五者は、将は聞かざることなきも、これを知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。 故に、これを校ぶるにするに計を以てして、其の情を索む。 曰わく、主 孰れか賢なる、将 孰れか能なる、天地 孰れか得たる、法令 孰れか行なわる、兵衆 孰れか強き、士卒 孰れか練[なら]いたる、賞罰 孰れか明らかなると。 吾、これを以て勝負を知る。 二 将 吾が計を聴くときは、これを用うれば必ず勝つ、これを留めん。将 吾が計を聴かざるときは、これを用うれば、必ず敗る、これを去らん。 計、利として以て聴かるれば、乃ちこれが勢を為して、以て其の外を佐[たす]く。勢とは利に因りて権を制するなり。 訳すると 〈無謀な戦争をしてはならない〉 軍事は国家の命運を決する重大事である。だから軍の死生を分ける戦場や、国家の存亡を分ける進路の選択は、くれぐれも明察しなければならない。そこで、死生の地や存亡の道を考えるために五つの基本事項を用い、さらにどこが死生の地でどれが存亡の道かを明らかにするため、彼我の優劣を比較・計量する基準を使って、双方の実状を探る。 基本事項(五事)は、(一)道、(二)天、(三)地、(四)将、(五)法。 (一)道 民衆の意思を君主に同化させる、内政の正しさ。 ふだんからこれが実行されているからこそ、戦争になっても、民衆に統治者と死生を共にさせることができ、民衆は政府の命令に疑いを持たない。 (二)天 陰陽、気温の寒暖、四季の推移のさだめや、天に対する順逆二通りの方法、および天への順応がもたらす勝利など。 (三)地 地形の高低、国土や戦場の広い狭い、距離の遠近、地形の険しさと平坦さ、軍を敗死させる地勢と生存させる地勢など。 (四)将 物事を明察できる智力、部下の信頼、部下を思いやる仁慈の心、困難にくじけない勇気、軍隊を維持する厳格さなど、将軍が備える能力。 (五)法 軍隊の部署割りを定めた軍法、軍を監督する官吏の職権を定めた軍法、君主が将軍とかわした軍の指揮権についての軍法など。 およそこれら五つの事項は、いやしくも将軍である以上、だれでも聞き知ってはいるが、その重要性を思い知っている者は勝ち、単にうわべの知識として知っているだけの者は勝てない。 そこで、彼我の死生の地や存亡の道をはっきりさせるため、優劣を具体的に比較・計量する基準(七計)を用いて、実際に両者の実状を探究してみるのである。 その内訳は、 1:君主はどちらが民心を掌握できる賢明さを備えているか 2:将軍の能力はどちらが優れているか 3:天地がもたらす利点はどちらにあるか 4:軍法や命令はどちらが徹底しているか 5:兵力数はどちらが強大か 6:兵士はどちらが軍事訓練に習熟しているか 7:賞罰はどちらが明確に実行されているか といったことである。わたしはこうした比較・計量によって、開戦前からすでに勝敗の行方を察知する。 将軍がわたしのはかりごとに従う場合には、彼を用いたならきっと勝つであろうから留任させる。将軍がわたしのはかりごとに従わない場合には、彼を用いたならきっと負けるであろうからやめさせる。 はかりごとの有利なことがわかって従われたならば、そこで勢ということを助けとして出陣後の外謀とする。勢とは、有利な状況を見れば、それにもとづいてその場に適した臨機応変の処置を取ることである 私が好きな部分は 故に勝を知るに五あり。 戦うべきと戦うべからざるとを知る者は勝つ。衆寡の用を識る者は勝つ。上下の欲を同じうする者は勝つ。虞を以て不虞を待つ者は勝つ。将の能にして君の御せざる者は勝つ。 この五者は勝を知るの道なり。 故に曰わく、彼れを知りて己を知れば、百戦して殆[あや]うからず。彼れを知らずして己を知れば、一勝一負す。彼れを知らず己を知らざれば、戦う毎[ごと]に必らず殆うし。 わかりやすくすると 〈彼を知り己を知らば〉 という言葉がありますが、 勝利を予知するのに五つの要点がある。 (一)戦ってよい場合と戦ってはならない場合とを分別している者は勝つ。 (二)大兵力と小兵力それぞれの運用法に精通している者は勝つ。 (三)上下の意思統一に成功している者は勝つ。 (四)計略を仕組んで、それに気づかずにやってくる敵を待ち受ける者は勝つ。 (五)将軍が有能で君主が余計な干渉をしない者は勝つ。 これら五つの要点こそ、勝利を予知するための方法である。 したがって、軍事においては、相手の実状も知って自己の実情も知っていれば、百たび戦っても危険な状態にならない。相手の実情を知らずに自己の実状だけを知っていれば、勝ったり負けたりする。相手の実情も知らず自己の実状も知らなければ、戦うたびに必ず危険に陥る。 歯科に置き換えると、 1.自分の治療技術と知識で治療していい病気と治療してはいけない病気を分別してわかっているのもは、勝つ。 2.大胆な治療法と、繊細な技術の治療法を持っているのものは勝つ。 3.受付、歯科衛生士、歯科助手、歯科技工士、すべての意思の統一できているのもは勝つ 4.毎日勉強し、研鑽を積んでいるものが、そのような努力しているのを知らないで、来院するかんじゃをみると、必ず勝つ。 5.院長が有能で、奥方が余計な干渉をしないものは勝つ。 (5.院長が有能で、ほかの事にうつつを抜かさなければ勝つ。)←実感しました。 以上 大塚式孫子の兵法の活用でした。 |
| 2003年4月24日(木) |
| 人間万事塞翁が馬 |
| 患者さんの佐藤さんに「先生!ホームページの更新ぜんぜんしてないの?」とつらい指摘を受けました。 私も人間で、今まではしゃにむに勉強し、働いてきました。 昨年から、ちょっとしたことでつまづき、ばたっと倒れる寸前まで行きました。 そのため、更新のことも考えることもできませんでした。 これから倒れるかもしれませんが、再起を期すために書きます。 今の心境は「人間万事塞翁が馬」であります。 達観することは、よほどの人生経験をつまねばできませんが、、、、。 内容は 昔、中国の北方の塞に住む老人の馬がある日越境して胡の国に逃げてしまった。 近所に人たちが見舞いにゆくと、老人は、 「そのうちいいことありますよ」 といって、少しも気にする様子がなかった。 しばらくすると逃げた牡馬がすばらしい牝馬をともを伴って帰って来た。 周囲の人々がお祝いの言葉を述べると、その老人は 「わるいことがなければいいが」 といって、浮かぬ顔をしている。 両馬の間にりっぱな仔馬が生まれた。 老人の息子はそれを育てあげたが、ある日落馬して脚を折ってしまった。 近所の人が見舞うと老人は、 「そのうちいいことがあるさ」 といって笑っていた。 時が経って、胡の国が攻めて来たので若者は戦争に駆り出され、十中八、九は戦死したが、脚を折ったため老人の息子は無事だった。 「吉凶禍福はあざなえる縄の如し」 といわれるが、周囲の動きに一喜一憂することなく長い物差しで人生を達観したいものである。 嗚呼、わが人生に幸あれ!! |
| 2002年10月23日(水) |
| 小泉さんは陳勝かも? |
| 燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らずや 劉邦(橋本竜太郎?)や項羽(石原慎太郎)の他に陳勝というホラ吹きの農民〈小泉純一郎)も決起しました。彼の名は十八史略には名を残すものの、歴史に名を残したとは言えません。 陳勝(小泉)は身分は低く、日雇い百姓いわゆる土地を持たない百姓でした。彼はホラ吹きで有名でした。「俺はいつか王侯貴族(首相)になる。俺が王になったらお前を宰相(福田)にしてやろう。大臣にしてやろう。高級官僚にしてやろう。」などと友人に言っておりました。回りはこんな虫けらみたいな俺達農民が貴族になどなれるわけがないと、いつもホラ吹きの陳勝をバカにしていました。 その時陳勝が言った言葉は「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志をしらずや」お前らみたいな小さいツバメやスズメに俺のような偉大なコウノトリのこころざしがわかるか!という意味です。 しかし、陳勝は農民決起のリーダとなり、ひとつの地方の城を奪いその地方を治める王となったのです。約束どおり友人達を宰相にし、大臣に任命しました。しかし、所詮は戦略を持たない愚かさから、始皇帝の正規軍(自民党の本流)に敗北し歴史から名を消しました。 早く正規軍が来ることを祈ってます。 |
| 2002年10月14日(月) |
| 休めましたか? |
| 天気のいい連休でした。みなさんお体休めましたか。家族サービスでバテバテの人も多いと思います。私は、毎日朝5時半には起きていましたが、この休みの間はゆっくりできました。その分明日から起きれるか心配です。さて、日本の経済もこの天気のようにからっとしてくれるといいのですが。明日からまた、大変な現実に直面します。診療所をしていますと、患者さんの状況もよくわかります。社会保険の方がかなりのスピードで減少しているのがわかります。毎日の感触では、某経済金融大臣の景気は回復してるというまったく間違った解釈はできません。情報音痴なのでしょう。新聞はなぜこの政権を擁護するのでしょうか。橋本さんやそれ以前の政治家には厳しかったと思いますが。過去1年をみますと改革はできないでしょう。この1年は失った20年の始まりと言われています。支持率が下がるとなんかパフォーマンスでごまかす。1年で何が変わりましたか。景気が悪くなり、社会の犯罪が増えただけではないでしょうか。経済政策はかの人の就任演説(昨年)の「壮大なる実験」という話に恐怖を覚えたのは私以外にも多くの人がいます。政治家は失政をすると職を失いますが、彼には失うものはありません。責任もとるつもりもないでしょうし、そのような気概も見られません。所詮並みのレベルの大学の一教授であり、その人を大臣にした総理は並以下の見識と並外れた面子、見栄はりと政権維持の欲望をもつ、戦後最低の総理かもしれません。一度解散すると二度と総理にはなれないために必至の抵抗には閉口します。本当に頭が悪いのか、ぼろを出さないようにするためか、ボキャブラリーの貧困にも情けない気分になりますし、鳩さんがNATO(no action talk onnly)とはよく言ったものです。でもこの状況は笑っているわけにはいきません。支持率、選挙目当てのリップサービスではなくて、国民のための政治をしてほしいですね。なんとか、景気を回復させ、明るい明日を見たいものです。自民党を含めた他の政党の活躍を期待したいものです。臨時国会で政権が解散することを期待したい。 |
| 2002年10月9日(水) |
| 失業率の増加を考える。 |
| 最近、会社の倒産や失職をよく耳にします。政府の進める経済政策としての構造改革で、弱い企業がつぶれていきます。そのために職を失った人へのセーフティネットを言ってますが、他の企業が新たな人を採用するほど体力があるとは思えません。このままでは、日本がスラム化し、犯罪率が上昇すると危惧するのはあたりまえではないでしょうか。何とか、景気を回復してもらいたい。その後、構造改革ではないでしょうか。 |
| 2002年10月8日(火) |
| 白河の清きに魚も住みかねて、もとの濁りの田沼恋しき |
| 田沼意次の政治と寛政の改革を思う 今の日本の人気取りを最大の目標で政権維持に血眼になっている某総理いわく、「構造改革なくして成長無し」の文句を言いつづけていますが、果たしてそれでいいのでしょうか。 はるか昔の江戸時代に 倹約、倹約で、 庶民はぜいたくが一切禁じられてた時代があった。有名なのは江戸時代の三大改革ですが、 その中において、異色の色彩を放つ時代がありました。 田沼意次は九代将軍家重、十代将軍家治に仕え、 ものすごい出世したが、その政治はワイロ政治と呼ばれました。しかし賄賂はありましたが、商人に寄付してもらって新しい運河を作ったり、北海道の道路整備をしました。 詳しく調べますと、 彼は、疲弊していた当時の財政を立て直すため、享保改革の一面を継承しながらも、商業資本の積極的利用を推進します。株仲間を広く公認して運上金・冥加金をとる一方、銅や鉄、真鍮などを幕府の専売にし、さらに長崎貿易を拡大するなど開放的な対外政策も行いました。通貨体系の近代化や物価の安定、殖産興業、合理的な金融機関の設立などに取り組んだ意次の政策は、今日から見れば実に近代的で、時代を先取りした経済政策でしたが、意次後の政権が逆行政策をとったために、不評を買ってしまうことになります。 『田沼時代』は賄賂が横行した時代といわれ、意次自身についても歴史上の一般的な評価は決して良いものではありませんでした。しかし、実際の田沼意次は、時代を見極め、斬新で進歩的な経済政策、社会政策を行なった優れた政治家であったと思われ、事実政治家「意次」の評価は時代とともに見直されています。こうした背景には、意次の失脚後に幕政の実権を握ったのが、彼の政敵である松平定信であったことから、この時代に意次像がゆがめられ、悪く伝えられたのではないかという見方もあります。 また、『田沼時代』を語る資料は、ほとんどが後世に書かれたもので、その時代に書かれた資料はきわめて少ないのが実情です。そして、意次にとって不運だったのは、この時代、たび重なる災害に見舞われたことでした。江戸の大火や浅間山の大噴火に加え、決定的だったのは天明の大飢饉でした。これにより農村が荒廃し、各地で一揆や打ちこわしが続発、幕政にも大きな打撃を与えました。将軍家治の死によって反田沼勢力が台頭し、意次は志なかばで政権の座を降りざるをえませんでしたが、彼の政策のなかで、もう一つ忘てならないのが国土開発計画です。 意次は、吉宗の時代に中断していた印旗沼、手賀沼の干拓事業を商人資本で再開し、新田の開発と運河の開削を目指しました。また、蝦夷地(北海道)の開拓計画を発案し、調査を行った後入植を進め、さらにロシアとの貿易も計画するなど、従来にない積極策を展開しました。なかでも蝦夷地開発は、北海道の十分の一を開拓して新田畑をつくろうという大規模なものでした。 これらの事業は、成功していれば国に多大な利益と発展をもたらしたであろう、画期的な国土開発事業でした。しかし、意次の罷免により中止され、幻の開発計画となってしまいました。 未来を志向した先心的な政策を次々に打ち立てた田沼意次。私たちは政治家としての彼の手腕を、今日的見地から再評価してもよいのではないでしょうか。 寛政の改革とは 江戸時代の三大改革(享保、寛政、天保改革)の一つで、八代将軍徳川吉宗の孫である白河藩主松平定信が筆頭老中の時代に施行された政治改革であります。 前任者である「田沼意次」の時代(1767年〜1786年)は、本来幕府が重視してきた農業を基本とする社会形態を、 商人達による商業を中心とした資本力によって社会の活力を求め、幕府の財政を立て直す政策に転換した事により、景気は上昇し社会は活況を呈しました。 この様な商人達による好況の時代は時間と共に、別の面で幕府役人と商人の癒着を初めとする多くの問題を発生し、農民達は自然に左右される農業に見切りをつけ、 一攫千金を求めて江戸や大阪のような都市に人々が流入しました。 このため土地は荒れ農村は疲弊し、食料の需給がつかず折りしも天候の不順などと相まって飢饉「天明の大飢饉」が起こり物価が上昇し、 インフレの状態が発生するなどの現象が現れ、幕府の政治に対する人々の怨嗟は日増しに強くなりました。 遂には農民達の一揆や商家の打ち壊しなどにより社会不安が一気に高まり、その問題を解決するため幕府は、まず商業資本への依存を断ち切り、 かつての幕府の体制に戻すため農業の保護を積極的に行い、倹約を始めとする風俗・思想の統制を行うことで不必要な出費を抑え、 ゆるみきった武士や民衆の気持ちを引き締めようとしました。 確かにこれらの政策は緩みきった風潮を一時的に引き締める事には成功しましたが、余りにも結果を急ぎすぎた ため民衆による反発を招き、内部の役人達からも不満を招いた定信は六年で老中を辞任する結果になりました。 この改革の根幹をなす政策は以下の通りです。 倹約令(1787年) 役所諸経費の節減や庶民の華美に流れていた風俗を取り締まった条文であり、 特にこれが民衆の揶揄のもとになりました。 棄捐令(1789年) 借金に苦しむ旗本や御家人に対して武士としての誇りを保ち、本来の立場に相応しい暮らし方をさせるため、 6年以上たった借金は破棄できるというものでしたが、この政策後、商人がこれに懲りて武士に金を貸さなくなったため、 武士達はかえって困窮を強いられる結果になりました。 囲米の制(1789年) 定信が白川藩主時代に起こった天明の大飢饉を教訓とし、 平素から各村や町ごとに穀物を蓄え、飢饉や災害などの非常時に備える体制を整備しました。 旧里帰農令(1790年) 田沼時代、江戸の町に流入した人々に定職のない者には帰村を奨励し、帰農者には旅費が支給され 農業のための資金を与えるなど、無職者を無くし治安の維持を図ると共に、過疎となっていた農村に活力を与えるための政策を実施しました。 人足寄場(1790年) 浮浪者や無宿人を収容し治安の維持を図るとともに、職業技術の指 導を行う場所を設け、犯罪の抑制に力を入れました。 この時期活躍したのがテレビの時代劇でおなじみ、火消し盗賊改めの長谷川平蔵であります。 寛政異学の禁(1790年) 「朱子学」幕府公認の正学として、その他の異学を学ぶことを禁じ思想統制を行い、 幕府組織の強化を図りました。 この朱子学は、社会における階級制度を基本とし、下層武士達の指導的立場に携わる支配者階層の子弟を対象とした学問でした。 七分積金の制(1791年) 町経費の削減に努め、これのよる余剰金の70%を積立金として、災害時に備えるための費 用としました。 その後、松平定信時代にこんな川柳をよんだ人がいます。 「白河の清きに魚も住みかねて、もとの濁りの田沼恋しき」 白河というのは松平定信のことです。 つまり白河(川)はあまりにも水がキレイすぎて、 魚が住もうと思っても住めない。 ・・・・魚はコケとか虫とか微生物がいる、 ちょっとくらい汚れた水でないと死んでしまうからの・・・・ だから、キレイすぎる水より、 田沼・・・沼の水は濁っているけど、 魚が住むのにはいい環境なんじゃ。 ・・・・つまり水が濁っている時代がよかったな・・・・ という意味です。 この何もせず、人気取りのパフォーマンスに専念し、改革せずに、厚顔無恥で政権居座る政治家に対して、 今、思う、昔の自民党の政治のほうが良かったのでは? 支持率命の政治家は要らない。 その後、数十年を経て、文化・文政に入るとまた、乱れていきます。 |
| 2002年10月6日(日) |
| しばらく休んでました。 |
| 最近のニュースは暗い事が多いですね。 明日がある!明るく元気で明日も行こう。 |
| 2002年9月22日(日) |
| 幸せって何? |
| ビールを飲みながら、幸せについて考えてみました。 自分の尺度で考えてみると、つまり、自分が幸せであるかどうかをどうやって決定しているのかというと、いろいろありますが、たぶん、幸・不幸の決定の仕方は、他人より上か下かという判断によるものでないかと思いました。 自分より不幸な人を見れば自分は幸せだと思い 自分より幸せな人を見れば自分は不幸だと思う その繰り返しによって自分の幸・不幸の位置づけを決定していくのかなあ。 また、自分が不幸せな状態にあるところから幸せな方向へ上昇したとき、幸せと感じる事ができるのかもしれない。 また反対に、幸せがあるからこそ、自分は他人より不幸だとか、前より不幸になったという状況が起こるわけか? すなわち、幸せを感じるためには不幸は絶対に必要不可欠で、不幸を感じるためには幸せは絶対に必要不可欠なものとなる。 そうなると全人間が幸せになることは不可能になる。心が貧しくなりました。 でも、これは間違いかなと思いなおしました。 最後に私の結論は、次の通りになりました。 ・世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ。 byシェークスピア 幸せは歩いてこない。だから、歩いていくんだね、、、。1日一歩、、、、。ふふーーー。 |
| 2002年9月22日(日) |
| 陰陽道の映画をみて |
| 調べてみました。私の守護神は不動明王でした。それは、 不動明王とは・・・ 不動明王は悪魔を降伏するために恐ろしい姿をされ、すべての障害を打ち砕き、おとなしく仏道に従わないものを無理矢理にでも導き救済するという役目を持っておられ真言宗の教主「大日如来」の使者です。お姿は、目を怒らせ、右手に宝剣を持ち左手に縄を持つ大変恐ろしい姿をしておられますがそのお心は人々を救済しようとする厳しくもやさしい慈悲に満ちております。 不動明王 梵名:アチャラナータ 御真言 大呪:ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタ タラタ センダマカロシャダ ケン ギャキギャキ サラバビキンナン ウン タラタ カンマン 中呪:ノウマク サマンダバザラダン センダマカロシャダ ソワタヤ ウン タラタ カン マン 小呪:ノウマク サマンダ バザラダン カン 梵字:カーンマン(上半分カーンで表すことも多い) 御利益:行者守護 除災招福 戦勝 悪魔退散 鎮宅など 不確実な世の中では信じたくなります。私は、信じてしまいました。 |
| 2002年9月22日(日) |
| たゆまぬ努力が実を結ぶ。 |
| ・人生まれて学ばざれば生まれざるに同じ。学んで道を知らざれば学ばざるに同じ。 知って行わざれば知らざるに同じ。 by貝原益軒(日・儒者) 養生訓で有名です。ためになります。いい本です。 なぜ、今の日本にこのような人が出てこないのですか。未来が今を評価するのかな。この時代はどう評価されるのでしょうか。こんなことを真夜中に考えているのは疲れている証拠かな。 さてと、いまは午前一時。あと1時間勉強しよっと。もう少しでひと段落つきます。慢性疲労症候です。早く死ぬかな。 |
| 2002年9月21日(土) |
| 平和を願って |
| 中学生のときからBEATLES が大好きでした。今でも、時々聞いては自分の世界に入ってます。今日はJOHNの魂を一緒にみてください。世界は平和になれる。独裁者は必ず滅ぼされる。 Imagine (by John lennon) Imagine there's no Heaven 想像してごらん 天国は無い、と it's easy if you try 簡単でしょう? No Hell below us 地面の下に地獄も無い Above us only sky 私たちの上に 空があるだけ Imagine all the people 想像してごらん すべての人間を Living for today 今日を生きている Imagine there's no countries 想像してごらん 国境の無い世界を It isn't hard to do そんなに難しくないさ Nothing to kill or die for 命を奪う武器も無くて And no religion too 宗教の違いも無い Imagine all the people 想像してごらん すべての人間を Living life in peace 平和に生きている You may say I'm a dreamer 僕は夢見人かもしれないけれど But I'm not the only one 一人ぼっちじゃないよ I hope someday you'll join us いつの日か仲間になって And the world will live as one 世界が1つになる imagine no possessions 想像してごらん 財産の無い世界を I wonder if you can あなたに出来るだろうか No need for greed or hunger 欲張りや飢餓の 心配も無い A brotherhood of man 人類の兄弟愛 Imagine all the people 想像してごらん すべての人間を Sharing all the world 世界を分かち合う You may say I'm a dreamer 僕は夢見人かもしれないけれど But I'm not the only one 一人ぼっちじゃないよ I hope someday you'll join us いつの日か仲間になって And the world will be as one 世界が1つになる 訳:ロッカー『王様』の「想像してごらん」より 感動! |
| 2002年9月20日(金) |
| そういう人に私はなりたい |
| 雨にも負けず、、、、。これを毎日読んでいると、世の中もう少し良くなるのかなと思うのですが。自分の心を毎日洗濯しなければ、汗、埃、ばい菌、ウイルスなどなど汚れてしまいます。心の洗濯ができる装置があればいいのですが。私はこれを読むときれいに回復します。また、「ぞうきんの心」という考えがあって、わが身を汚して相手をきれいにする、、、という考えです。なるほどこれはいいと思いますが、これにしても必ず、心の洗濯が必要です。余計なことですが、政治家や官僚の方々が心を洗濯されるといいのですが。そうすると、日本はもっと良くなると思うのですが。痛みを知ることのできない人は、自らを痛みのあるところへは決して、持っていきませんし、感じないかもしれません。。子を持つ親として、拉致問題は悲しい事件です。 |
| 2002年9月20日(金) |
| 般若心経から学ぶ |
| 毎日、これを暗唱しています。もうすぐお彼岸です。 仏説摩訶般若波羅蜜多心經 観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。 「観自在菩薩という方は、深く智慧を得る行の中で、この世に存在するものは実体のない五つの要素よりなると悟り、苦を離れる智恵を知ったのだ。」 舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄 不増不減。 シャーリプトラ (お釈迦様の弟子の名前 ) 、 「この世の中で常に移り変わる現象には実体がない、空なのだ。それがこの我々が生きる世界の本質なのだ。私たちの目に映る(物質の)世界で、感じたことも、想ったことも、行ったことや、知識も、すべて実体はない。」シャーリプトラよ。「この世に存在するかに映る実体のないものは、生じることも、滅することもない。汚れもせず、汚れを離れることもなく、増えも、減りもしない。」 是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無限界。乃至無意識界。無無明。亦無無明盡。 ゆえにシャーリプトラよ、 「この空を良く知る者は、物質的な現象に煩うことはない。 感じることにも、心に浮かぶ象にも、意志にも、知識にも煩わされない。眼や、耳や、鼻や、舌や、身体や、心にも。ものの姿や、声や、匂いや、味わいや、触りごこちや、心地良さや不快にも執着しない。眼に写る世界から意識の領域にいたるまで何にも迷わされることはない。 (したがって、さとりもなければ)迷いもなく、(さとりがなくなる こともなければ、)迷いがなくなることもない。 乃至無老死。亦無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩提薩タ。依般若波羅蜜多故。心無ケイ礙。無ケイ礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。 老いや死にすら実体はない、老いと死がなくなることにも煩わない。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを滅することも、苦しみを抑える道にも実体はないのであり、煩うことはないのだから。 知ることや、得ることにも、煩ってはならない。持つことに実体はないからである。 この菩薩は、般若波羅蜜多によって心を安んじているので、物質の世界の中での得失に苦悩しない。自分と他者を区別することもない状態に住している。その状態に住しているから、何に対する恐れもなく、すべての顛倒した心を遠く離れて、永遠の安らぎの状態に入っているのである。 三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。故知若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒。是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。真實不虚故。説若波羅蜜多咒。 過去・現在・未来の三世のなかでこの真理に目ざめた人々は、すべて、永遠の安らぎの状態を与える般若波羅蜜多により、この上ない正しい知恵を得られたのだ。 それゆえ人は皆知るべきである。この仏の智慧の大いなる真言、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを取り除くのだと。その真言はこのような般若波羅蜜多の呪文なのである。」 即説咒日掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎訶掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎訶 般若心経 その真言は次のように説かれるのだ。 ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー(往ける者よ、往ける者よ、悟りの岸へ全く往ける者よ、あなたがたのさとりと安らぎの、成就されんことを。) 智慧の教えの経。 合掌 |
| 2002年9月20日(金) |
| 人生とは? |
| ・登山の目標は山頂と決まっている。 しかし、人生の面白さはその山頂にはなく、かえって逆境の、山の中腹にある。 by吉川英治 人生60年は昔のことですが、私も45年を過ぎ今、人生の中腹です。今が面白いのかな?と考える毎日です。 |
| 2002年9月18日(水) |
| 古くからの名言にも、現代風解釈がつき作者の意思と違う意味に解釈されているもの があることを理解する。 作られた時代と今を読み取ることが大切です。 たとえば、 天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず という福沢諭吉の言葉である 今風に素直に読むとこの言葉は人類普遍の平等を説くすばらしい言葉だと思います が、作者の意図は違っているのです。この言葉が何の本のどのような位置に書かれて いるかを考えればその答えの本質は自ず見えてくるであろう この言葉は福沢諭吉の著書「学問のすすめ」の冒頭に出てきます。 そしてその本来の意味は「人は生まれたときは平等であるが学問をする者は優れた人 間となり、学問をせざる者は劣った人間となる。だから学問をせよ」 ということなのである 。 他にも、「情けは人のためならず」 ということわざを、「情けをかけて甘やかしては、その人のためにならないからかけ てはいけない」と理解している人が多い。正しくは、「情をかけておけばいつか自分 に帰って来るからかけなさい」なのであるが・・・ 参考までに 福沢諭吉の「学問のすすめ」は、下記の通りであります。 「学問のすゝめ」 天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。 されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、 生れながら貴賎上下の差別なく、 万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの者を資り、 もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずして各*安楽に この世を渡らしめ給うの趣意なり。 されども今広くこの人間世界を見渡すに、 かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、 富めるものあり、貴人もあり、下人もありて、 その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第甚だ明らかなり。 実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。 されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり。 また世の中にむつかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。 そのむつかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き 人という。 すべて心を用い心配する仕事はむつかしくして、手足を用いる力役はやすし。 故に、医学、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、 *多の奉公人を召使う大百姓などは、身分重くして貴き者というべし。 身分重くして貴ければ自ずからその家も富んで、 下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども、 その本を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとに由ってその相違も出来たるの みにて、 天より定めたる約束にあらず。 諺に云く、天は富貴を人に与えずしてこれをその人の働きに与うるものなりと。 されば前にも言える通り、人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。 ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、 無学なる者は貧人となり下人となるなり。 |
| 2002年9月17日(火) |
| 今日の一言は私が大学にいた頃に思っていたことであります。 |
| 「人間万事塞翁が馬」話というのは・・・ 昔、中国の北方の塞に住む老人の馬がある日越境して胡の国に逃げてしまった。 近所に人たちが見舞いにゆくと、老人は、 「そのうちいいことありますよ」 といって、少しも気にする様子がなかった。 しばらくすると逃げた牡馬がすばらしい牝馬をともを伴って帰って来た。 周囲の人々がお祝いの言葉を述べると、その老人は 「わるいことがなければいいが」 といって、浮かぬ顔をしている。 両馬の間にりっぱな仔馬が生まれた。 老人の息子はそれを育てあげたが、ある日落馬して脚を折ってしまった。 近所の人が見舞うと老人は、 「そのうちいいことがあるさ」 といって笑っていた。 時が経って、胡の国が攻めて来たので若者は戦争に駆り出され、十中八、九は戦死したが、脚を折ったため老人の息子は無事だった。 「吉凶禍福はあざなえる縄の如し」 といわれるが、周囲の動きに一喜一憂することなく長い物差しで人生を達観したいものである。 でも、今考えると、達観しているように思えますが、自分に対する結構言い訳の手法かもと、反省しています。前向きな生き方を今は信じてがんばっています。 |
| 2002年9月16日(月) |
| 私の日常の考え方に次のものがあります。 |
| 山本五十六元師の語録にある「やって見せ、言ってきかせて、させてみて、褒めてみてやらねば人は動かず」という言葉であります。これにリーダーシップのなんたるかが、すべて含まれていると思います。「やってみせ」というのは実践力。まず、リーダーたるもの、生き様を含めて、見本をみせなければいけない。また、それには自信がなければやってみせることもできない。「言ってきかせて」とは、それだけ知識に裏打ちされた理論と説得力がなければだめだということであり、そして、さらに「させてみて」というのは、大変な寛容と忍耐力がいる。「させてみせ」るわけだから、失敗もあるかもしれない。でもそれをいちいちとやかく言わず、包容力とか、部下に対する愛情を持って見守ってやる。「褒めてやらねば人は動かず」とは、うまくいったなら、自信にもつながるし、たとえ失敗しても一生懸命やった人に、再戦の機会と、やる気を与えなければリーダーたるもの育てることはできない。 私の診療室は、今のところできているものと信じています。全員が自分の手足になって動いてくれる。来年4月から診療所を移転いたしますが、これを実践していこうと思います。思いやりとか感謝の気持ちを忘れずにいこうと思います。組織は人間の集まりだから、信頼感がなければ、人は動かない。スタッフ全員に感謝。 |
| 2002年9月15日(日) |
| 私の父は、旧制中学から江田島の海軍兵学校に進学しました。その折にこれを体に叩き込まれたそうです。しかし、幼い頃から厳しくしつけられていたはずの不肖の息子はなかなかこれを実践できないのです。毎日反省をしています。 五 省 「五省(ごせい)」とは、広島県江田島にあった海軍兵学校(現在は、海上自衛隊幹部候補生学校・第1術科学校等が所在)において、生徒が毎日の自習時間の最後(21時25分)に机上の物を格納して、分隊毎に1号生から3号生まで生徒が1日交替で軍人勅諭5条と併せて暗謡、他の生徒は瞑黙端坐して傾聴したものである。 五 省 ● 至誠に悖(もと)るなかりしか (真心に反する点は、なかったか) ● 言行に恥ずるなかりしか(言行不一致な点は、なかったか) ● 気力に欠くるなかりしか(精神力は十分であったか) ● 努力に憾(うら)みなかりしか (十分に努力をしたか) ● 不精に亘(わた)るなかりしか (最後まで十分に取り組んだか) 読者の皆さんも自宅の壁にはって、毎日声を出してみてはいかがでしょうか。 五省は昭和7年、当時の海軍兵学校長 松下元少将が創始したものです。松下校長は兵学校生徒の訓育を重視され、日々の各自の行為を反省させて明日の修養に備えさせるため、五か条の反省事項を考え出し、これを日々生徒に実施させました。その方法は、毎晩自習終了時刻の5分前に、当番生徒が「五省」の五項目を問いかけます。各生徒は姿勢を正し、瞑想しながら心の中でその問いに答えながら、今日一日を自省自戒するというものでした。 終戦により兵学校は閉校され、陸海軍に関するあらゆるものが歴史の表舞台から消されましたが、「五省」に関しては例外でした。敗戦後来日した米国海軍のウィリアム・マック海軍中将が「五省」に感銘を受け、アナポリス海軍兵学校に持ち帰り、翻訳させて現在でも教育に利用しているといわれます。また、海上自衛隊幹部候補生学校でも海軍時代の伝統を受け継ぎ、学生たちは兵学校時代と変わらぬスタイルで毎晩自習終了後、五省により自分を顧みて、日々の修養に励んでいます。 |
| 2002年9月14日(土) |
| 言は行を顧み、行は言を顧む 『中庸』 言行一致。 すなわち言う事と行う事を一致させるのは、むつかしい事です。 なぜなら、ちょっとすると言う事が先走って行動がそれに伴わないからです。 たとえば、親は子供に向かって、ああしろ、こうしろと口うるさく言います。 言うのはいいのですが、「じゃ、お父さんはどうなの?」と切り返され言葉に詰まるようでは、 説得力に欠けるというものです。 人間は誰でも言行一致であることが望ましい。 そのためには、「言は行を顧み、行は言を顧む」が必要なのです。 「言は行を顧む」とは、発言する時には行動がそれに伴っているかどうか考えます。 そうすれば発言にもブレーキがかかるのではないでしょうか。 「行は言を顧む」とは、行動をおこすときには自分の発言を思い出す事です。 そうすれば発言に比べて行動が足らない事を反省して、いっそう励むようになるでしょう |
| 2002年9月13日(金) |
| 百戦百勝非善之善者也 百戦百勝は善の善なるものに非ず 『孫子』 『孫子』は、『百回戦って百回勝ったとしても最善の策とはいえない』 言っています。 『戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり』と語っています。 戦わないで勝つとは、@外交交渉によって相手の意図を封じ込める。 A謀略活動によって相手を内部崩壊に導く。 武力を使っての戦いは、どんなことをしても必ず味方にも損害はでます。 そういう勝ち方は、勝ったとしても最善策ではありません。 我慢強く、相手と会話をしていくことが勝つことにつながっていくのです。 |
| 2002年9月12日(木) |
| 戦国時代の上杉謙信も強固な国を作っていました。この謙信の家訓がこれです。 |
| 上杉家家訓十六ヶ条 宝在心上杉謙信公が残した家訓 1.心に物なき時は心広く体泰なり 1.心に我儘なき時は愛敬失わず 1.心に欲なき時は義理を行う 1.心に私なき時は疑うことなし 1.心に驕りなき時は人を教う 1.心に誤りなき時は人を畏れず 1.心に邪見なき時は人を育つる 1.心に貪りなき時は人に諂うことなし 1.心に怒りなき時は言葉和らかなり 1.心に堪忍ある時は事を調う 1.心に曇りなき時は心静かなり 1.心に勇みある時は悔やむことなし 1.心賤しからざる時は願い好まず 1.心に孝行ある時は忠節厚し 1.心に自慢なき時は人の善を知り 1.心に迷いなき時は人を咎めず やはり優れた人はすばらしい家訓を作るものです。 上杉鷹山は謙信の子孫にあたります。 関が原の戦い後、家康により米沢藩に移封されました。 |
| 2002年9月11日(水) |
| 私の心の支えです。毎日反復し自身を律することを肝に銘じています。 |
| 東照公遺訓 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。いそぐべからず、不自由を常と思えば不足なし、こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。 堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもえ、勝つ事ばかり知りて、まくること知らざれば害その身にいたる。 おのれを責めて人をせむるな、及ばざるは過ぎたるよりまされり。 慶長(けいちょう)8年1月15日 家康 意味:(人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。いつも不自由していると考えれば、不満が生じるはずがなく、欲心が起きたときには、自分の過去にあった苦しい時代を思い出すことだ。 「堪忍」こそが無事に長く安泰できる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。また、人生では勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。 自分の行動を反省し、人の責任ばかりを追求するな。何かをやるとき、なかなか到達できないほうが、やり過ぎてしまっているときよりは良い) やはり、人の上にたつひとは違う。少し、見習わなければ、、、。合掌。 |
| 2002年9月10日(火) |
| 上杉鷹山の有名な言葉をご紹介しましょう。 |
| なせば成る、なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり この歌は、彼が治世に失敗して、失意にうちに隠居した時、 息子に贈ったものなのです・・ 最近、失意のどん底に陥ることが多々あります。なぜだろうと、考えました。 デフレも物が安くなってありがたいけど、やはりインフレで世の中に活気があるほうが良いと思います。バブルの頃には、世の中華やかで、11月にはクリスマスのジングルベルの歌が流れ出し、12月中クリスマスという感じでした。困った人や、失業者の話もあまり聞きませんでした。モラルは低下しましたが、、、。また、当時はインフレだと借金しても平気という感覚がありました。 インフレが2%で起こっているなら、借金は金利を支払っても2%以上も目減りしていくからでした。昨今のデフレに陥って、借金の金利は少なくなりましたが、今、借金するよりもう少し、先で安くなったら買おうという傾向になり、気持ちの上で、借金が増えていくように感じ、ついつい、企業は借金をしないで、返済に回る行動を取るのでしょう。 返済されたお金は国債の購入や投資先がないためにアメリカ国債を購入するということになるのでしょう。これでは、国内にお金は回りません。回らなければ、物も買えません。私たち、普通の国民は買うためのお金を得ようとしても少なくなり、また、それでも使わなければならないときに、銀行の貸し渋りにあい、消費者金融へ行くわけです。(私は行ってませんが)最近、あの阪急までも消費者金融を始めました。銀行の貸し渋りは過去の不良債権の経験からそう簡単に、リスクを負って、貸すだけの体力を奪ったのでしょうか。悲しい記事が毎日続きます。 上に書いた上杉鷹山の言葉は有名ですが、◎◎首相は米百俵の話を言って、耐乏生活を求めました。我慢の限界が近い |
| 2002年9月9日(月) |
| 今の教育に思うこと |
| 時代錯誤と言われても仕方がないが、どこかで方向を変えなければ大変な未来が訪れるのではと危惧するのは私だけだろうか。 この勅語を再考してみたい。 教育勅語 朕惟(おも)ふに我か皇祖皇宗を肇(はじ)むること宏遠に徳を樹つる こと深厚なり我か臣民克(よ)く忠に克く孝に億兆心を一にして世々厥 (そ)の美を濟(な)せるは此れ我か國體の精華にして教育の淵源亦實 に此(ここ)に存す爾(なんで)臣民父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し 朋友合信し恭倹己(おの)れを持し博愛衆に及ぼし學を修め業を習ひ以 て智能を啓發し徳器を成就し進て公益を廣め世務を開き常に國憲を重し 國法に遵(したが)ひ一旦緩急あれは義勇公に奉し以て天壌無窮の皇運 を扶翼すへし是(かく)の如きは独り朕か忠良の臣民たるのみならす又 以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん 斯の道は實に我か皇祖皇宗の遺訓にして子孫臣民の倶に遵守すへき所之 を古今に通して謬らす之を中外に施して悖(もと)らす朕臣民と倶に拳 拳服膺(ふくよう)して咸(みな)其徳を一にせんことを庶幾(こひね が)ふ 明治二十三年十月三十日 御名御璽 教育勅語の訳文 天皇ご自身がお考えになるに、天照大神以来の天皇の御始祖たちが我が日本を建国するに際し、その規模は広大で、いつまでもその基盤が揺らぐことのないようにされ、さらに、御先祖たちは身を慎み、国民を大切にして、後の徳政のお手本を示された。天皇の臣民である日本国民は、いつの時代も忠孝を尽くし、国民が心を一つにしてその美徳を発揮してきたこと、これこそが国体の最も優れた点であり、教育の大もともここに根ざしていかなければならない。 お前たち臣民は、父母に孝行し、兄弟は仲良く、夫婦も仲睦まじく、友人とは信頼しあい、礼儀を守り、自らは身を慎み、人々には博愛の心で親切にし、学業に励み、仕事を身につけ、さらに知識をひろめ才能を磨き、人格を高め、進んで公共の利益の増進を図り、社会のためになる仕事をし、いつも憲法を大事にし、法律を守り、ひとたび国家の一大事となれば、正義にかなった勇気を奮い起こし、国家・公共のために身を捧げることで、天地と共に窮まりない、天皇を戴く日本国の国運が栄えることを助けなければならない。これは、単に天皇の忠良な臣民としての行動だけでなく、御先祖の残した美風を継承することでもある。 この教えに従うことは、まさしく我が天皇の御始祖たちが残されたおさとしで、皇室の子孫も臣民も共に守るべきものであり、昔から今に至る何時の時代に実践しても間違いなく、我が国で実践しても外国で実践しても道理に反しない。自分は、臣民と共に、このことを自分自身によく言い聞かせ、その教えを守り、臣君一体となってその徳をより高めたいと願い望む。 明治二十三年十月三十日 御名御璽 参考文献 「教育勅語」 解説・大原康男 ライフ社 |
| 2002年9月6日(金) |
| 日本国憲法を読もう!! |
| 日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し,われらとわれらの子孫のために,諸国民との協和による成果と,わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し,政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し,ここに主権が国民に存することを宣言し,この憲法を確定する。そもそも国政は,国民の厳粛な信託によるものであつて,その権威は国民に由来し,その権力は国民の代表者がこれを行使し,その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり,この憲法は,かかる原理に基くものである。われらは,これに反する一切の憲法,法令及び詔勅を排除する。 日本国民は,恒久の平和を念願し,人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて,平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは,平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは,全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは,いづれの国家も,自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて,政治道徳の法則は,普遍的なものであり,この法則に従ふことは,自国の主権を維持し,他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は,国家の名誉にかけ,全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 |
| 2002年9月5日(木) |
| こんな人になりたい(院長の独り言) |
| 「雨ニモマケズ」 宮澤賢治 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテイル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキ小屋ニイテ 東ニ病気ノ子供アレバ 行ツテ看病シテヤリ 西ニ疲レタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニソウナ人アレバ 行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクワヤソシヨウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイウモノニ ワタシハナリタイ |